なぜ今、Ethereumなのか?
現在、Ethereumはさまざまな議論を呼んでいる。Ethereum Foundation(EF)の研究者であるBarnabé氏が言及しているように、Ethereumの問題や議論に対して意思決定をするにはその目標が何であるか、達成するアプローチは何であるかを明確に定める必要がある [1]。この点でEFは一つの重要なプレイヤーとして、方向性を定めて実装を推進してきた。
一方で、Ethereumは特定の個人や組織に帰属するものではない。そのため、各参加者が「自分たちにとってのEthereumは何か」を問い、その目標に貢献する手段を自らの視点で整理し、実践していくこともまたエコシステムにとって重要な営みである。
本稿では、我々の考える目標とアプローチを整理し、独自の視点から貢献の可能性を探っていく。なお、ここで明確にしておきたいのは、これはEFを批判するものではないということである。異なる立場からその目標と実現手段を思考することが、エコシステムの一助となることを願っている。
1.なぜ今、Ethereumなのか?
自分たちにとってのEthereumは何かと問い、その目標にどのように貢献できるかを考える前に、なぜ我々がEthereumに焦点を当てているかを整理する。その根本的な理由は、Ethereumが現時点で最もThe God Protocolsに近いと考えているからである。
The God Protocolsとは、1997年にNick Szaboが提唱した、第三者を信頼せずにあらゆる取引や契約を実行できる理想のプロトコルである [2]。
この理想形では、あらゆる当事者にとって公平かつ信頼を置ける存在として、参加者全員の入力を受け取り、正確に計算し、必要な出力のみが返される。
このとき、参加者は入力と出力から得られる情報以上に他の当事者の入力について知ることはないという特徴を持つ。これは厳密な仕様や実装を指すのではなく、理想形態を示唆する抽象的な概念として提示されている[2]。
この理想形に対して我々は、「EthereumにiOという暗号技術を加えたものがThe God Protocolsである」という立場をとっている [3]。ただし、これは「他の分散システムや暗号技術がThe God Protocolsに値しない」という批判を意味しない。あくまで技術的条件という観点から、「Ethereum + iO = The God Protocols」と位置付けたのである。
本稿でより強調したいのは、The God Protocolsは技術的条件を満たすだけでは成立しないという点である。それを実際に機能させるには、エコシステムの厚さが不可欠となる、という論旨である。
エコシステムの厚さとは、開発者、研究者、ユーザー、トレーダー、バリデーター、事業者、さらには思想的支持者までも含んだ、ネットワークに関与して社会的意味づけを与える実体の集合である。
このエコシステムの厚みは、単に技術的に洗練されているだけでは生まれない。例えば、プログラミング言語において、HaskellやLispのような技術的に洗練された言語がある。しかし、実際に広く使われているのは、学びやすく、コミュニティや情報が豊富なPythonやJavaScriptのような言語である。
この構図は分散システムにも当てはまる。例えば、Ethereumよりも技術的に洗練されたプロジェクトは存在するが、多様な関係者によって支えられた厚みのあるエコシステムを有している例は多くない。
この事実は、技術の選択が必ずしも設計上の美しさや性能だけで決まるわけではなく、どれだけ多くの人が参加し、学び、使い続けられる実用的なエコシステムが存在するかどうかが、現実の選択において重要であることを示している。
これは例えば研究者にとって、エコシステムが厚いということは優秀な研究者が存在しており、議論やコラボレーションがしやすく、研究が促進されることを意味する。また、開発者にとっても、エコシステムが厚いということは優秀な開発者が存在し、高い開発体験を享受することができる。
ここで問い直したいのは、「使われない神は、本当に神と呼べるのか?」ということである。どれだけ洗練されたプロトコルであっても、誰にも使われず社会と接続されていない存在は神と呼べるのか。
我々がEthereumをThe God Protocolsに最も近い存在と捉えているのは、その技術的条件に加えてエコシステムの厚さを備えているからである。使われ、批判され、改良され続けるプロトコルこそが、実際に機能する神のような存在へと近づいていく。
以上のことから、我々の目標はEthereumをThe God Protocolsに近づけ、社会との接点を創ることにある。
2. Ethereumに対するアプローチ
この目標に向けて、我々は以下の3つのアプローチを重視している。
Ethereum自体の問題解決
理想的なプロトコルで解決可能な問題の特定
エコシステムの育成
1と3はEFの取り組みとも重なっており、我々の活動はそれらを補完する。一方で、2は我々独自の視点と強みを活かした取り組みである。
1.Ethereum自体の問題解決
EthereumがThe God Protocolsの要件をどこまで満たしているかを検証することは、方向性やその貢献手法を考えるうえで重要である。
以下は、我々が簡単に定式化したThe God Protocolsを構成する6つの技術的特性と、それに対するEthereumの現状である[3]。
なお、これは「Ethereum with iO is God Protocol」の貼り付けである。詳細は原文を読むことを強く推奨する。
パーミッションレス性:Ethereumは誰でもネットワークに接続し、取引を提出し、ノードを立ち上げ、あるいはスマートコントラクトをデプロイできる公開型のブロックチェーンである。参加に際して中央管理者の許可を必要としないため、この点でGod Protocolsが想定する開かれたアクセスの要件を満たしていると考えられる。バリデータとして参加する場合には32ETHというハードルはあるが、特定主体の許可を要するわけではない。また、参加しているバリデータの過半数が正直であるという仮定を置いており、ステーキングによる経済的セキュリティで51%攻撃などの攻撃に対策している。
チューリング完全性:Ethereumは仮想マシン(Ethereum Virtual Machine, EVM)を備え、Solidityなどの高水準言語で記述されたコードをチューリング完全に実行できる。任意の複雑なロジックを実装可能であるため、God Protocolsの「計算可能な全ての問題を解ける」要件に近い柔軟性を持つといえる。また、チューリング完全における無限ループ問題の対策として、ガス代の上限という概念を導入し対処した。また、Ethereumはブロックごとにグローバルステートを更新し、トランザクションやコントラクトの状態を記録する。なお、Bitcoinは複雑なロジックやループを表現できない、非チューリング完全なパブリックブロックチェーンである。
一貫性:Ethereumでは、PoSベースのコンセンサスアルゴリズムであるGasper(Casper FFGとLMD GHOST)によって正しくブロックが提案・最終化される。その限りにおいて全ノードが同一のステートを共有する。一時的にフォークが生じることはあっても、最終的には一意のチェーンに収束し、全ノードが同じ状態を認識できる。
ライブネス:Ethereumは世界各地に分散したノードによって運用されているため、一部ノードが停止してもネットワーク全体が完全に機能不全に陥ることは起こらない。DoS攻撃などの障害を受けても、システム全体として稼働を継続し、最終的に正当なブロックチェーンを伸ばし続けることが可能である。
検閲耐性:Ethereumは中央集権的システムよりも検閲が困難で、取引の改竄や抑制が非常に難しい。ユーザーはECDSAによる署名でトランザクションを発行するため、このトランザクションの中身を第三者が書き換えることは不可能である。一方で、Maximal Extractable Value(最大抽出可能価値, MEV)の問題にみられるように、プロポーザーやビルダー、サーチャーによるトランザクション順序の操作は残存する。これはトランザクションを恣意的にブロックに含めないことも含む。これはサーチャーやビルダーが先に取引内容を学習し有利になる構造でもあるため、「完全な公平性」を実現できているとは言いがたい。EIP-7805などのInclusion Listの提案がこの課題の緩和を目指している。
プライバシー:Ethereumが現時点で十分に達成できていないのがプライバシー特性である。トランザクションデータやコントラクトの状態が公開される仕組み上、プライベート取引や機密情報の扱いが基本的に困難となる。プライバシー機能を備えたLayer2や暗号技術の導入が一部進められているが、まだ限定的なアプリケーションにとどまっているのが現状である。
総じて、EthereumはThe God Protocolsの技術要件の多くを満たしているが、プライバシーとMEVによる検閲耐性の問題は依然として大きな問題である。
我々は、まずMEVによる検閲リスクや公平性の問題に注目し、研究開発を行っている。また、プライバシーについては、理想的なプロトコルの存在を仮定し、それがどのような問題を解決するかを明確にする研究を行う(次に詳しく触れる)。これらの活動は、EFや他グラントの支援を受けながら、外部の研究者やチームとも積極的に連携して進めていく。
2.理想的なプロトコルで解決可能となる問題の明確化と体系化
EthereumをThe God Protocolsに近づける過程で重要なのは、それがどのような社会問題を解決しうるかを明確にすることである。
例えば、Ethereum with iOが実現すれば、技術的に困難とされてきた投票システムやオークション、個人認証を伴う契約の自律執行が可能になる可能性がある。特に、これまで分散型システムにおいて繰り返し問題とされてきたシビル攻撃への耐性やプライバシーを保ちながら1人1票を保証する仕組みの確立は、実社会にとっても重要である。
こうした応用の鍵となるiOや関連する暗号技術は、現時点ではまだ未成熟であり、実用化に向けては多くの技術的問題が残されている。
だからこそ、技術問題がどのような社会問題に接続されているかを特定し、その影響を言語化しておくことが実用化に向けての鍵となる。
我々はその問題の多くがゲーム理論の中に存在すると考えており、Ethereum with iOの実現によって解決可能となる問題を明確化する研究を進める。
3.エコシステムの育成
The God Protocolsの実現には、技術的条件を満たすだけでなく、それを支えるエコシステムの厚みが不可欠であることは前述した通りである。
その一環として、Uzumaki Houseというリサーチハウスを東京に設立し、研究者・産業・個人が物理的空間で出会い、交流し、協働できる場を共同で提供している。すでに設立から4ヶ月が経過したが、これまで国内外の研究者から産業従事者まで、幅広い方が訪れ、交流が生まれている。この試みは、EFや産業、個人のサポートを受けながら運営されており、幅広いエコシステムを育てるためのアプローチとして効果が発揮されることを期待している。
3. まとめ
技術的要素とエコシステムの厚さのどちらも考慮すると、現時点で理想的なプロトコルに最も近い存在はEthereumである。
しかし、理想形の実現には多くの課題が残されている。特にMEVによる検閲耐性、プライバシー、そして理想的なプロトコルがどのような社会問題を解決するかの特定は、今後の重要なテーマである。
我々はそのような内部の問題解決から理想的なプロトコルが解決しうる社会問題の体系化、そしてそれを支えるエコシステムの育成に至るまで、三位一体のアプローチでエコシステムに貢献していく。その軸となるのは、Nick Szaboが目指した、より公正で自由な社会的基盤を築くという意思である。